六十里越街道とは

出羽の古道「六十里越街道」ってどんな道?

地図

山形県庄内地方と内陸を結ぶ「六十里越街道」(ろくじゅうりごえかいどう)は、1200年前の古代から開かれたと伝えられています。

鶴岡から松根、十王峠、大網、田麦俣、湯殿山、大岫峠を越え、志津、本道寺、寒河江を通り山形に至る険しい山道で、山岳信仰が盛んだった室町・江戸時代には、湯殿山を目指し、東北・関東の各地から訪れる「道者」(参詣者)たちで賑わった“ゆどのみち”。

また戦国時代には軍馬が足跡を刻み、藩政時代には、徳川四天王の筆頭、酒井忠次の孫・忠勝が入部以来、酒井家が約250年にわたり統治した庄内藩をはじめ諸藩の参勤交代にも利用されたという記録が残っています。

さらに、庄内からは魚介類やローソク、内陸からは紅花や真綿、豆や葉タバコなどを背負って運ぶ人たちも行き来していました。

明治以降、新道の開通により表舞台から退きましたが、六十里越街道には今日も名残をとどめる数多くの史跡がひっそりと眠っています。

史跡を訪ねてみれば、多くの人が願いを込めて『ご神体』を目指したことが分かります。その願いは『五穀豊穣』『子孫繁栄』。

萌える緑、染まる紅葉。時代の移り変わりの風を感じながら、湧き出る湯に身を浸し、庄内の季節の恵みに舌鼓を打てば、昔の人が過ごした豊かな時を共有できるかも知れません。

幾千幾万の足跡を記憶している出羽の古道を、あなたも体感してみませんか。

 
六十里越街道ルート図
六十里越街道の写真
湯殿山碑(一本橋跡)の写真

ゆどのみち伝説

溪谷の奥深く、不思議な姿をしたものが岩肌をあらわにしています。その頂から泉のように湯を沸き出すのを初めて見た人は足を止めるに違いないでしょう。

湯煙とともに滔々と噴き出されたお湯は、やがて滝となり流れとなって平野をうねり日本海に至ります。長い歴史の中で、この平野で生きる動植物を育んできた『命の泉』。そうと知った人々は、その岩を「湯殿のご神体」と呼んで崇めるようになりました。

自然神を崇拝していた時代には祖霊集う山として、大和民族が北を目指してきた時代には神道の神として、空海が広めた真言宗は大日如来として、霊山としての長い歴史を刻んできたのです。

時代の流れとともに信仰の形は変わってきましたが、人々の思いはいつも同じです。『五穀豊穣』『子孫繁栄』を願う思いはこの地方独特である“甦り”の思想を生み出しました。

今生きている人は過去の祖霊を敬い、未来の子孫に願いを込め、今もその願いを抱きながら湯殿を目指す列が路を踏みしめています。千年の時を経てでき上がった“ゆどのみち”を人々は「六十里越街道」とよんできたのです。

六十里越街道の歴史パンフレット
湯殿山神社大鳥居の写真
白装束で古道歩きの写真